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7月6日~11日 倉庫・石碑まわり・ゴミ捨て場 撤去

7月6日(月)石碑まわり 樹木伐採 

 工事も2週目に入りました。

 ここからは道路沿いにある建物類の撤去が始まります。

 まずはショベルカーが入り、周辺の木々などを取り払うようです。

 

 6日は石碑周辺の樹木を伐採し、作業がしやすいように下ならしをしていました。

 

 今まで木々に隠れがちだった石碑まわりがすっきりしました。

 この石碑は上之郷出身の「南 源十郎」という人物の遺徳をたたえたものです。

 上之郷村の庄屋・村長などを歴任し、上之郷のために尽くした人物です。

 石碑には、国によって意賀美神社の敷地が没収されるのを防いだり、村にかかる税を軽減するなど、常に「志民の冤を伸べ民の利を図る(民衆の不満を取り除き、民衆の利益のために尽くした)」と、その実績が刻まれています。

 また実業にも意欲旺盛で、特に上之郷銀行の設立は「尤郷人を利し今に至るまでその恵為頼る(特に村の人々を利し、今に至るまでその恩恵を受けている)」とのこと。

 碑文は、幕末の史家として教科書にも載る内藤湖南の文によるもので、また文頭には当時の首相 西園寺公望の名も見えます。

 

 この石碑は、隣に立つ像とともに茅渟宮跡の敷地に移設され公園として整備されるそうです。

 碑文には、その容貌・人柄を讃えてこうあります。

 「其の面や頳、其の躯や偉なり。篤きこと拳々勉むることびびたり。民物を利すること至誠より出で、己を持すること潔く、名を近づけず。(中略)卓たる其の風古の善士たり。」

 (あから顔の偉丈夫である。篤心あつく、倦まず努めた。真心から人々の利を図り、自分の行いは潔白で、名声を求めることもなかった。(中略)いにしえの卓抜した善士というべき人物であった)

 

7日(火)ゴミ捨て場解体 

 7日、本日からはゴミ置き場の解体作業が始まりました。

 ゴミ置き場を仕切るブロック塀を、ショベルカーのバケット部分をうまく使って、少しずつ突き崩していきます。

 

 ものの1時間でゴミ置き場が瓦礫の山になってしまいました。

 この場所には今後、飼育小屋が引っ越してくる予定です。

 

 新しいゴミ置き場は仮倉庫の横に。

 土日のあいだにゴミ倉庫を移設してくれていたようで、今年度いっぱいはここをゴミ置き場として使わせてもらうことになります。

 

8日(水)倉庫解体 

 8日には倉庫の取り壊しへと作業は移行しました。

 備蓄倉庫の隣にもう一つあった倉庫が取り壊され、倉庫をかたちづくっていた部品が残骸となって積み上げられています。

 

 

 こちらの倉庫も、もはや解体待ちのようです。

 中身は新設された仮倉庫に引っ越しし、もはや役目を終えてがらんどうとなったさまが心に沁みます。

 

 また、職員玄関前にあった倉庫も解体されてしまいました。

 写真の土の部分には倉庫が2つ並んでいたのですが、どちらもいつの間にか跡形もなく片付けられ、あとに残ったのは更地ばかりです。

 

 

9日(木)ゴミ捨て場解体 続き 

 9日は撤去作業の続きです。

 旧ゴミ置き場跡の瓦礫をダンプで運び出していました。

 

 旧ゴミ置き場はよほど頑丈に作られていたのか、大きな瓦礫はショベルカーの先端に装着したドリルで砕いていきます。

 児童が道路を通りかかる際には警備員さんの合図で作業を中断するなど、随所に心遣いを感じます。

 

 

10日(金) 

 今週の作業がすべて終了しました。

 倉庫やゴミ捨て場、樹木等が取り去られ、まったくすっきりしてしまいました。

 次の工程への布石か、そこかしこに盛り土が見られます。

 

 こちらは旧ゴミ捨て場の今の様子です。

 瓦礫を撤去したかと思えば、地面を砕くなどして新たに瓦礫の山になっていました。

 

11日(土)時計移設 

 職人さんは土曜日も作業をしてくださっています。

 週明けには旧ゴミ捨て場の瓦礫も片付けられていました。

 全体的にどこかスッキリしたような印象があります。

 

 すっきりした印象の正体は時計でした。

 今まで旧ゴミ捨て場前に立っていた時計がこちらに移設されました。

 

 昨日まで児童たちを見守っていてくれた時計は、今後はこちら側から引き続き児童を見守ってくれます。

 

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