28日、この日は石碑・銅像がいよいよ茅渟宮跡の敷地へと移設されるとのこと。
早朝一番、超大型のクレーンが天まで伸びていました。
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28日、この日は石碑・銅像がいよいよ茅渟宮跡の敷地へと移設されるとのこと。
早朝一番、超大型のクレーンが天まで伸びていました。
今回移設されるのは、上小の設立者である「中谷藤吉氏の銅像」、上之郷銀行などを設立した「南源十郎氏の遺徳碑」、「机場北同行母の会 寄付碑」、遺徳碑保存費としての「金壹百圓碑」などです。
これらの銅像・石碑群は8月6・7日に取り外し作業があって以来、空いた場所に仮置きされたままでした。
取り外しを行ったときと全く同じように、ロープを銅像にくくりつけクレーンでトラックの荷台へと積み込みます。
上小の校舎をバックにした銅像を目にできる最後の機会と思うと、少々寂しい気がします。
一方、茅渟宮跡にはすでに「南源十郎遺徳碑」が移設されていました。
早朝から作業を行ってくださっていたのか、新しい台座にもしっかりと固定が済んでいます。
昼を挟んだ午後、茅渟宮跡に石碑群が到着しました。
先ほどはまだロープにくくられていた遺徳碑も、完全な姿を見せていました。
青空が美しく、すでに茅渟宮跡の歴史薫る雰囲気に馴染んでいます。
「中谷藤吉氏の銅像」は片隅に降ろされ、覆いとフェンスとで厳重に守られていました。
銅像を新台座に固定するのはまだ少し先とのことです。
次いで、遺徳碑保存費の「金壹百圓」の移設です。
遺徳碑の隣に静かに降ろします。
細かいクレーンの上げ下ろしについて、指示は手信号で運転手に伝えるようです。
ここぞという位置まで来た瞬間を狙い、ぐっと拳を握りしめて「O.K.」の合図を出します。
設置と言ってもクレーンでただ降ろすだけではありません。
地面に水平になるように、また正確に正面を向くようにと細かく調整し、石材を下にかませるなど時間をかけて設置してくださっていました。
外から容易には見えない苦労が光ります。
この石碑には「遺徳碑保存費 金壹百圓 大阪泉谷源也?」と刻まれているようです。
南源十郎氏遺徳碑の保存用の寄付金でしょうか。
この当時の百円が今どれくらいの価値なのか気になるところです。
そして「机場北同行母の会 寄付碑」の移設です。
こちらも、先の2つの石碑に並んで設置されることとなりました。
石碑群がすべて設置されました。
今後は、石碑の周囲の土を固めるなどの作業が行われる予定です。
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