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10月5日 中村児童公園(茅渟宮跡)完成

5日(月)中村児童公園(茅渟宮跡) 完成式典 

 10月5日(月)、中村児童公園の完成記念式典が行われました。

 茅渟宮跡敷地にある公園です。

 この場には、永く上小に据えられていた銅像・石碑群が移設され、それに伴っての整備工事が続けられていました。

 

 上小にて銅像・石碑群の取り外し作業が行われたのは8月6日。

 その後、幾多の工程と数ヶ月の月日を経てこの日めでたく整備が完了し、真新しく美しい公園として生まれ変わりました。

 

 記念式典には上之郷町会の皆さまをはじめ、工事に関わる方々や市の関係者など実に二十数名が駆けつけ、公園の新しいスタートを寿ぎました。

 式典には市長も駆けつけ、冒頭のあいさつでは祝福のお言葉と地区の皆様によるご協力への感謝、そして、「桜の季節にはこの地がまた新たな上之郷のシンボルとなる」明るいビジョンについて述べられました。

 石碑横に植わっている一対の桜の木を踏まえてのお言葉です。

 次いで大和屋議員、そして東上之郷町会連合会長にもあいさつをいただき、いずれも上小から移設された銅像・石碑群と青空をバックに、公園の新しい門出への祝福と、歴史の薫風を振りまく上之郷地区のさらなる発展への期待の言葉をいただきました。

 

 式典後、「南 源十郎氏」遺徳碑の前では、市長が市の工事担当者から説明を受けつつ、碑の放つ威容と刻まれた言葉の味わいを胸に刻む姿が見られました。

 今回の銅像・石碑群の移設工事は、市としても経験のない事業として始まったそうです。

 そのため、「いかにして銅像・石碑を取り外すか」「大きな石碑を抱え、どのように細い道のなか傷つけずに運ぶか」「敷地内にどのように配置し設置するか」など、あらゆる段階で想定外と工夫とを繰り返してようやく成った工事とのこと。

 工事に関わったすべての皆さまのおかげで、上之郷に新たな歴史的スポットが誕生したことになります。

 

 また、「中谷 藤吉氏」像の前でもみな自然と歩みを止め、像を見上げながらその威風を感じる姿が見られました。

 式典後、出席された方々はめいめいに銅像・石碑群を心ゆくまで眺めて回り、あるいは新しく整備された舗石や砂利道の踏み心地を確かめながら、しばしの時を過ごしました。

 

 本日は誠におめでとうございます。

 上之郷小学校を見守っていただいていた銅像や石碑が、このような偉大な史跡のもとに集い、肩を並べつつ上之郷地区の歴史的景観を彩り、かつその価値を高めることができる幸運をありがたく思っています。

 

 「中谷 藤吉氏」の銅像です。

 大正8年から昭和21年の長期にわたって上之郷村の村長を務められ、上之郷の発展に貢献しました。

 なんと、上之郷小学校を自費でもって設立された方でもあります。

 当時の人物評においても「着実」「聡明にして果断」「機敏」などの文言が並び、「紳士の典型と言うべき良き村長」と評される人格者であったようです。

 

 中谷 藤吉氏像の隣には「机場北同行母の会」寄付碑と、「遺徳碑保存費 金壹百円」寄付碑が並び立ちます。

 「机場北同行母の会」碑は、戦時中の出征に関わる碑とことで、机場地区の子を思う母親たちの親心が結実した碑といえます。

 また、「遺徳碑保存費」の寄付碑は、次に紹介する「南 源十郎」氏の遺徳がいかに抜きんでたものであるかを証明する碑といえそうです。

 

 中谷 藤吉氏像と対をなすように、「南 源十郎氏」遺徳碑がそびえています。

 上之郷村の庄屋・村長などを歴任し上之郷のために尽くした人物で、実業家としても優れ、上之郷銀行まで設立しました。

 遺徳碑にはその人柄について、「民物を利すること至誠より出で、己を持すること潔く、名を近づけず」「卓たる其の風古の善士たり」(まごころから人々の利を図り、行いは潔白で、名声を求めることもなかった。いにしえの卓抜した善士というべき人物であった)とあります。

 文頭に表れる当時の首相「西園寺 公望」の名と、この遺徳碑文が教科書にも載る幕末の史家「内藤 湖南」によるものであるという事実が、「南 源十郎」氏のスケールの大きさを表しています。

 

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