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校長室日記2019年8月

8月9日(金) 

被災地訪問 その12

 飛行機の遅れがあって仙台空港でだいぶ待ちましたが、無事関西空港に帰ってきました。解散式で、畑谷教育委員さんから挨拶をしていただきました。

 防災のことや避難のことを真剣に考え経験した2日間の訪問が、今後子どもたちにいかされていくことを期待します。

 

8月9日(金) 

被災地訪問 その11

 帰り仙台空港に向かう前に、七夕ミュージアムや仙台青葉城跡にいきました。仙台七夕祭りは、東北の三大祭りのひとつでちょうど今の時期です。

 

8月9日(木) 

8月9日(金) 

被災地訪問 その10

 4つの班からの発表の後、相馬市の教育委員会高橋さんから防災教育についてまとめの話がありました。自助(まず自分の命)、共助(家族や友達の命)、公助(みんなの命)。自分ができることを考え行動する。大切なことを教わりました。高橋さんは、2日間私たちの同行していただきました。大変お世話にないました。

 最後に訪問団を代表して、中学生が、感想とお礼を中村二中のみなさんに言いました。玄関で集合写真をとり、思い出深いものになりました。

 

8月9日(金) 

8月9日(金) 

被災地訪問 その10

 相馬市立中村第二中学校との交流会。

 相馬市の教育事業で新しくたてられた校舎で、とてもきれいでした。設備も整い素晴らしい教育環境になっています。

 初めに教頭先生から、当時から現在に至るまでの様子を説明してもらいました。学校としては、給食が出せないことで学校が再開できなかったことが大変だったとのこと。いざ始めてみると、一人一人の状況が違い、その一人一人に対応していくことが大変でもあり、重要だったとありました。

 中村二中の1,2年生4名が交流会に参加してくれました。「避難訓練」をテーマに4つの班で交流協議を進めました。

 

8月9日(金) 

被災地訪問 その9

 磯部メガソーラー車窓見学。津波被害にあった土地は塩害もあり活用が難しかった。国と電力会社、そして南相馬出資の電気会社の社長さんがプロジェクトを立ち上げ、このメガソーラーができた。パネルの数が19万8千枚。東北一大きい。現在、今後のパネルの再利用を検討しているとのこと。未来を担う子どもたちから将来よいアイディアが出るかもしれない。

 

8月9日(金) 

被災地訪問 その8

 南の入り公営住宅を車窓見学。一戸建てで、平屋または2階。仮設住宅から引っ越されて入居されています。相馬市は、被災者の方の内面も重視され、訪問事業を続けています。相馬市は、孤立死がない、とのことでした。

 

8月8日(木) 

被災地訪問 その7

 防災備蓄倉庫(兵糧蔵)を見学しました。相馬市の全人口が生活できるの3日分の食料などが保管されていました。全国から寄与されたものがたくさんありました。食料以外でも布団、毛布、リヤカー等々さまざまなものが保管されています。館内に亡くなられた10名の消防団員の方の遺影が飾ってあり、外には碑もたてられていました。

 宿についてからは、食後1日のふりかえりを行いました。今日の感想、災害に備えるには何が大切か等班を中心に話し合いをしました。

 

8月8日(木) 

被災地訪問 その6

 漁港と磯部水産加工所を見学しました。漁業は、まだ試験操業で以前の2割ぐらいしか水揚げできないそうです。理由は、買ってくれる所がないから。以前は、生のままでの取引がほとんどだったが、これからのことを考え新しく加工所が作られました。今は、しらすの釜揚げをしているそうです。風評被害は厳しく、今でも仲買人の買いたたきにあったりするそうです。

 食品の放射線量の基準が、国では100マイクロデシベル。福島県では半分の50、ここの加工所では、絶対に数値が出ないよう10マイクロデシベルを基準にしているそうです。そこまでしないといけないのか、と驚きます。福島産の魚は、ほかの所のものより安全と自信を持っておっしゃっていました。漁港では、若い方が多く頑張っておられました。

 

8月8日(木) 

被災地訪問 その5

 バスの車内からいろんな説明をしてくださった井島さん。福島第2原発のすぐ近くにおられたそうです。帰ろうにも帰れない場所になり、避難を余儀なくされました。浪江町で働いておられたので、仕事もなくなりました。今は、相馬市の観光協会で今回のような訪問の案内役をされてます。大変な苦労があったにもかかわらず、とても元気、強さ、たくましさを感じました。

 

8月8日(木) 

被災地訪問 その4

 祈念館から歩いて少しt高台に新しく作られた相馬港湾建設事務所に行きました。相馬の「復旧復興は、港から」という強い思いで港の再健に尽力された所長さんから話を聞きました。当時の津波の高さは9,3m。漂流物は、15,9mの高さの所まで来ていたそうです。めちゃめちゃになった港を少しずつ立て直していきました。船がつけれるようになり、港に企業が立地するようになりました。松川浦大橋の開通、海水浴場の再開、松川大洲地区の防潮堤の開通。復旧復興への思いの強さを感じました。

 

8月8日(木) 

被災地訪問 その3

 伝承鎮魂記念館の中で、当時あった港湾事務所からとったビデオの映像を見ました。船や車、港全体が津波にのみこまれていく様子が映っていました。映してる人の声が入っていて臨場感が伝わってきました。今自分たちがいる場所が当時であれば津波にのまれてしまう、リアルな感覚がありました。

 当時民宿「いがらし」を経営されていたいがらしさんは、被災された当事者(写真の方)です。お話を聞くことができました。大きな地震があって、いったん揺れがおさまってきたら、いつもの生活を続けようとされたそうです。消防団員さんの必死の避難の呼びかけにも、周りの方も含めてどこか大丈夫という感じで避難しなかったそうです。みるみる津波が押し寄せてきたときは、足がすくんで動けなかった。足元から、2m、3m、4mと水に押し上げられるようにのまれていった。おじさんと旦那さんがその中で流されていった。

 1年、2年は何もできなかったそうです。自分が助かったことを責める日が続いたそうです。そうした中で、自分がいきていく、当時のことを伝えて災害にどう対応していくか考えてもらうよう「語り部」として活動するようになったと話されました。強さを感じました。

 

8月8日(木) 

被災地訪問 その2

 関西空港から仙台空港まで飛行機で行き、バスに乗って相馬市に入りました。初めに訪問したのは、津波で亡くなった方の碑がある伝承鎮魂記念館でした。458名の方がこの地で犠牲になり、館の入り口には458体の小さなお地蔵さんがありました。被災当時の写真や消防団員さんの活動などがパネルで飾ってありました。何日も水かひかなかった泥の池の中を、一列にならんで竹の棒を指して、被災者の方を探してる写真の前にすると息が止まる思いがしました。子どもたちは、真剣に展示物を見て、しおりにメモを書き込んでいました。

 

8月8日(木) 

被災地訪問 その1

 泉佐野市の未来を創る教育事業「被災地訪問2019」に参加しました。佐野中、三中、第一小、北中小の4校の児童生徒24名と教育委員会、学校の先生たちで福島県相馬市を訪問しました。

 事業の目的としては、次代を担う子どもたちが実際に訪問し、被災地の見学や被災当時の話を聞くことを通して、実際に(災害に)直面した際、自らがこれからできることを考え、実行できる力を育成することです。

 

8月6日(火) 

8月6日(火) 

平和登校日

 8月6日は、広島に原爆が投下された日です。14万人もの尊い命が一瞬にして亡くなりました。今日、体育館にみんなで集まり、平和集会を行いました。校長先生の話、黙とう、戦争についての説明と話、子どもたちは、暑い中しっかり聞いてくれていました。

 空襲についての絵本「あしたもまたあそぼうね」を先生方で朗読し、読み聞かせをしました。火の海を逃げ惑う描写は、自分の体が熱くなりました。戦争は、絶対にしてはいけないという思いを新たにしました。

 

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